「ワクワク」のその先 -2つの道とは?

私たちは「ワクワク」や「ハートのノック」という言葉で表現していましたが、探求の道はハートに従うことから始まります。ハートは、この世界の主の住処であり、本当の私の隠れ場所だからです。

ハートに従っていくと、私たちは人生で奇跡の流れのようなものを体験し始めます。


しかし、少し経つとそれも終わることに気づくでしょう。波が引いて何もなくなるように、私たちを置き去りにしてその流れは消えてしまうのです。

ここで多くの人が探求するのをやめてしまいます。

しかし、最初のビギナーズラックとも見える奇跡の流れは、私たちに「人生に奇跡はある」ということを知らせるためにあります。


最初の奇跡は、人生とは自分の計画を超えたものであり、自分の人生設計を超えて目的がある、ということを思い出させるための恩ちょうなのです。

贈り物が終わると、私たちは今度は自分で歩き出さなければいけません。

ワクワクの先の「2つの道」

仕事や家庭といった日々の些細な生活のなかでも、目の前には必ず2つの道が用意されます。

一つは、心地よく歩きやすそうな快適な道です。

もう一つは、険しく快適ではなさそうな道です。

一つ目の道はプレーヤーと呼ばれ、二つ目の道はシュレーヤーと呼ばれます。

ここからは、私たちは「楽しい道」ではなく、「正しい道」を選ぶ必要があるのです。


正しい道は、必ず快適だとは限りません。快適な時もあるかもしれません。しかしほとんどの場合、心地悪く歩きにくいことが多いでしょう。しかし、それは私たちにとって「本当に良い道」です。自分自身を良くしてくれる道なのです。

私たちは、人生を歩く楽しさー、人生を快適にし、居心地良いものにし、楽しいおしゃべりと、美味しいご飯、他の人より恵まれた好きな仕事や、自由な買い物…

そのようなものから離れなければいけない時がやってきます。そのような居心地の良い道から、自分を良くする道を選ぶ必要があるのです。


2つの道の区別の仕方


この二つの道はどのようにして区別するのかと思うかもしれません。この二つの道の見分け方にはこのように言われています。

ライオンと犬を間違えるようなものだ、と。

犬を見て、今朝ライオンを見たんだ!などというでしょうか?間違えるわけがありません。間違えようがないほど、全く違う。というのがこの2つの道です。

もし、犬を見てライオンと言い張る人がいたら、どう思ういますか?その人がそのように言い張る理由があるのだと思いませんか?そのように、間違えたのではなく「間違えたい理由がある」ということなのです。どうみても犬なのに、ライオンと見たい自分の都合があるのです。

ある酒飲みが、改心して探求の道に入りたいと、グル(先生)の家を訪ねました。グルは事細かに瞑想法や食事、読むべき本などを手ほどき、彼はその教えに満足して帰りました。しかし少し経つと、教えはインチキだと本を全て売り払ってしまったのです。彼に尋ねると、もっともらしい理由を並べますが、結局はお酒をやめることが耐え難かったのです。

どちらが自分にとって良い道か一目瞭然で間違えようがありません。しかし犬がライオンに見えた方が都合が良いとき、私たちは目を細めながらも、なんとか「ライオンに、みえなくもない!」と自分を騙すのです。

「見て!庭に大きな犬がいる!」「これはライオンです。」


「正しい道」を選んだ時、涼しい風が吹くように充実感がありますが、「楽しい道」を選んでしまった後は、なんとも言えない後味の悪さが残ります。せっかく集中していた目的や内的な気づきもすぐに忘れ去ってしまいます。


探求は、険しい道を歩いて辛そうだと思うかもしれませんが、実はそれは違います。夏の暑い日に山に登る時、山頂に近づけば近づくほど地上にいるよりも涼しくなっていきます。暑い日差しの下、清涼な風がとても心地よく感じるでしょう。


ここからの探求の道は、そのような道なのです。周りからは険しく見えるかもしれませんが、歩く本人は涼しい中登っていくのです。