「恐れのない人」のウラ側
「本当のわたし」とはまったくの「無畏(むい)」になることです。「無畏」とは、恐れのない状態のことです。
恐れのない人
世の中にも「恐れのない人」を見かけます。その人たちとはどう違うのでしょうか?
お金が沢山ある人はお金には困りません。自分でいつでも稼げると自信のある人は、職を失っても怖くありません。お金や職を失うのが怖い人はそのような人を見ると、「この人はなんて恐れのない人なんだ!」「なんて最強なんだ!」と思うことでしょう。
しかし、その人は本当に恐れがないのでしょうか?
誰かが恐れがないように見える時、またはその人がそのように振る舞う時、その人の片方の面しか見えていません。
恐れがなく見える人は、一定の条件を満たしているから恐れがないだけで、条件を失うと途端に恐れはやってきます。
恐れがないと思っていたお坊さんの話
自分が悟っていると思っていたお坊さんがいました。ある日、ひどく怯えた様子の村人が相談に訪ねました。聞くと、不治の病にかかり、死の恐怖に怯えていたのです。お坊さんは「大丈夫ですよ。人間は体を超えた存在であり死ぬことはありません。怖がっても何も変わらないのだから、安心しておきなさい」と説きました。そのあとすぐに、彼の病気がうつりお坊さんも同じ病で倒れてしまいました。村人たちが心配して駆けつけると、そこにはあらゆる治療を必死で試すお坊さんの姿があったのです。
健康な時、お坊さんは全く怖くありませんでした。たちまち病になると、お坊さんも死ぬのが怖くてたまらなかったのです。
このように、世の中で見られる「恐れがない人」という状態は、何かの条件に必ず支えられています。
世間にあるものは全て、必ず2つの面があることを覚えておかなくてはいけません。コインは裏と表があり1枚のコインをつくっています。そのように物事には必ず「表の面」と「裏の面」があるのです。
「全く恐れがない」という状態の裏には、必ず「ひどく恐れるもの」があります。
多くの人が恐れる3つ : お金・仕事・健康
例えば、その「ひどく恐れているもの」がお金を失うことだったとしたら、お金を失わない状態が、恐れがない状態を支えています。ひどく恐れているものが、健康だったら、健康であることが、恐れがない状態を作っているだけです。
一見、「恐れがない」ように見える人でも、恐れを支えるものを失うと、変わらぬ恐怖がやってきます。
その人に恐れがなかったわけではなく、たまたま恐れる状況になかったというだけの「借りてきた状態」なのです。
さきほどのお坊さんが良い例です。
お坊さんは、健康だったので恐れがなく、なぜ人がそんなに苦しむのか分かりませんでした。いつも心が平安なので、自分は悟ったと思っていたのです。しかし、健康でなくなった途端、平安はなくなり苦しみ始めました。なぜなら、お坊さんは無畏だったのではなく、健康だったので怖くないだけだったからです。
どちらが本当のお坊さんの姿でしょうか。出てきた愚かさこそが本当のお坊さんの姿だったのです。
外側が自分を支える限界
健康のうちは良いですが、人は一生のうち病気をしたり事故にあったりします。もし運良く大きな病気をしなくとも、歳を取れば若い頃のようには身体は動かなくなり、いつかは死ぬのです。
お金もそうですが、一生困らないだけのお金を手に入れたとしても、今度は盗られないか心配になります。一生働けると約束された仕事でも、このご時世何があるか分かりません。絶対増えるという投資話しで騙されたという話もよく聞きます。
このようにこの世の中のものには絶対はありません。
私たちが、健康やお金や仕事といった外側のもので、自分の恐れを支えるには限界があるのです。その安心感は一時的なもので、明日崩れてもおかしくありません。私たちは大事な自分の安心を、このようないつなくなるか分からないものに頼っています。
私たちが自分を支えるものを自分の内に見出すまで、そのいたちごっこは永久に続いていくのです。
自分の内にある無畏
私たちは恐れのなさを自分の内に見つける必要があります。
信じられないかもしれませんが、私たちは自分の内に自分を支えるだけのものを兼ね揃えています。
少し想像してみてください。
お金や仕事の心配を一切しなくていい時の心の余裕を。もしそれがお金や仕事を無くした時にも同じ落ち着きを持っていたらどうでしょうか。
誰かに優しく出来た時の自分の寛容さを思い出してください。自分の人生に悪いことが起きても、同じ気持ちで扱えたらどうでしょう。
誰かにとても優しくされた時に思わず感謝が溢れたことはありませんか。自分が一番損をする場面でも、全く同じように感じらたらどうでしょうか?
外側の条件や状況関係なく、私たちがそのように人生を捉えられた時、恐れはとても小さなものになると思いませんか?
「本当の自分」を知る探求の道は、私たちが外のもので支えられるのをやめ、自分の内側だけで自分を支えていく道なのです。
目的地に近づけば近づいくほど恐れはなくなっていき無畏になります。
結論
どんなに恐れがなく、最強のように振る舞う人がいても、内的探求なくして、恐れを失くすことはできません。それは不可能なのです。
すべての人の人生の目的はひとつ、「私は誰か」を知ることです。
私たちが外側で探すのをやめ、この人生の目的が内側にあることを受け入れた時、探求の旅は始まります。
その旅路は、私たちがこれまで探索して来なかった、幸福という「本当の自分」を発見する道です。
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