社会という船に乗る条件



「私には、何が出来るだろうか?」

それは、とても純粋な問いです。


それが、自分自身に使われず、他人や社会に対して使われているのなら、ですが。

この世界に生きるための基準があります。


それは、


  • 「他人のために役に立ちたい」と思えること。また「人や社会の役に立つ事に純粋に従事できる」こと


  • そして、他人への思いやりや理解を持ち、それを発揮していること

この2つがこの社会で生きる上で、人間としての必要な質です。


船の乗組員


大航海をする大きな船を思い浮かべてください。


その船にはたくさんの乗組員が乗っていて、数年をかけ同じ目的地へ旅をします。

航海も半分にさしかかったところ、船の底に大きな穴が開き、船が沈みそうです!


その時、乗組員は「私には、何が出来るだろうか?」と考えなければいけません。


多分、穴を塞ごうと働くでしょう。船に入った水を外に出す人もいるかもしれません。子どもたちを避難させ安心させるかもしれません。


そのように、「私には、何が出来るだろう」という言葉は、他人のために、この船という社会のために、自分を働かせたいという純粋な思いから出る言葉です。

しかし、もしその時、

「私はどうやったら助かるだろう」と考える人は、自分だけの避難経路を探すでしょう。


「誰が穴をあけたんだ!」と考える人は、穴を開けた責任を取ってくれる人を探すでしょう。


「こんなところにこなければよかった」と考える人は、頭を抱え絶望で動けないでしょう。


「自分の人生に起こった意味はなんだ?何が悪かったんだ?」と考えるスピリチュアルな病気の人は、納得する答えを探すのに必死でしょう。


そのような人たちが、この船に乗っていて何の貢献になるでしょうか?


貢献どころか、他人に危害を加えたり、「私には何が出来るだろう?」と考える人の邪魔をする可能性も大いにあります。

この船で、本当にしなければいけないことを真っ先にできる人は誰でしょうか?


それは、「私には、何が出来るだろうか?」と考える人。

他人への思いやりや理解を持った人。です。


社会という船に乗る条件


さて、私たちは今、社会という船に乗っています。


この船に乗る条件は、「私には、何ができるだろうか?」という利他的な思いが当たり前にあること。


そこに一点の曇りもあってはいけません。一点でも曇りがあると、それは利己的な思いです。


そして、他人への思いやり、理解を持って行動していること、です。


緊急の時、他人を助けることができる人は割と多いでしょう。

しかし、緊急の時だけの話ではなく、いつもこの思いを持っていること、それが船に乗る条件なのです。

これが、私たちがここで生きる条件なのです。


もし、そのような思いが持てないのなら、それを変えるようと努力する必要があります。


「他人によく思われたい」「認められたい」「お金や名声、能力を手に入れたい」「人生を快適に心地よく生きたい」


そのような動機は、すべて不純です。

純粋ではない、汚れた思いなのです。


もう、このような思いを持ってはいけないのだと気付かないといけません。


その汚れた思いを完全に取り出して、「私は、何が出来るだろう」と純粋に思えるまで、私たちはみな、探求をしなければいけません。


それは、これからこの社会という船に乗る最低条件なのです。






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