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- 2022年4月26日
「恐れのない人」のウラ側
「本当のわたし」とはまったくの「無畏(むい)」になることです。「無畏」とは、恐れのない状態のことです。 恐れのない人 世の中にも「恐れのない人」を見かけます。その人たちとはどう違うのでしょうか? お金が沢山ある人はお金には困りません。自分でいつでも稼げると自信のある人は、職を失っても怖くありません。お金や職を失うのが怖い人はそのような人を見ると、「この人はなんて恐れのない人なんだ!」「なんて最強なんだ!」と思うことでしょう。 しかし、その人は本当に恐れがないのでしょうか? 誰かが恐れがないように見える時、またはその人がそのように振る舞う時、その人の片方の面しか見えていません。 恐れがなく見える人は、一定の条件を満たしているから恐れがないだけで、条件を失うと途端に恐れはやってきます。 恐れがないと思っていたお坊さんの話 自分が悟っていると思っていたお坊さんがいました。ある日、ひどく怯えた様子の村人が相談に訪ねました。聞くと、不治の病にかかり、死の恐怖に怯えていたのです。お坊さんは「大丈夫ですよ。人間は体を超えた存在であり死ぬことはありません。怖がっ


- 2022年4月23日
「ワクワク」のその先 -2つの道とは?
私たちは「ワクワク」や「ハートのノック」という言葉で表現していましたが、探求の道はハートに従うことから始まります。ハートは、この世界の主の住処であり、本当の私の隠れ場所だからです。 ハートに従っていくと、私たちは人生で奇跡の流れのようなものを体験し始めます。 しかし、少し経つとそれも終わることに気づくでしょう。波が引いて何もなくなるように、私たちを置き去りにしてその流れは消えてしまうのです。 ここで多くの人が探求するのをやめてしまいます。 しかし、最初のビギナーズラックとも見える奇跡の流れは、私たちに「人生に奇跡はある」ということを知らせるためにあります。 最初の奇跡は、人生とは自分の計画を超えたものであり、自分の人生設計を超えて目的がある、ということを思い出させるための恩ちょうなのです。 贈り物が終わると、私たちは今度は自分で歩き出さなければいけません。 ワクワクの先の「2つの道」 仕事や家庭といった日々の些細な生活のなかでも、目の前には必ず2つの道が用意されます。 一つは、心地よく歩きやすそうな快適な道です。 もう一つは、険しく快適ではなさそ


- 2022年4月20日
ヴィーガンで腹が立つ時
Q.ヴィーガンになってから、お肉を食べている人に腹が立ってしまいます・・・とても苦しいです。どうしたら良いでしょうか。 ヴィーガンとは動物性を一切摂取しないということではありません。ヴィーガンは「非暴力」に基づいた生き方です。 非暴力とは、人を蹴ったり殴ったり罵ったりという、言葉や物理的に危害を加えることだけではなく、本当の意味はさらに微細です。頭で考えること、心で思うこと、行動、すべてにおいて、誰も傷つけないということです。そして否定性も暴力のひとつです。 非暴力とは誰も傷つけないことで、同時に全ての人を助けます。 論破やロジックの逆効果 ヴィーガンを選択している人が他者を論破したり、ヴィーガンでない人に敵意を向ける動画を観たことがあります。彼らは多くの人にヴィーガンになってもらおうと行動していますが、それは逆効果です。 なぜなら、多くの人が「ヴィーガン」に惹かれるのはそこに「非暴力」という美しい態度を感じ取っているからです。 ヴィーガンにとって「非暴力」こそ花の蜜です。ヴィーガンの考え方やロジック、コミュニティなどは花弁に過ぎず、人が惹かれ自