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- 2022年5月27日
目からウロコ!桶の理論
長年、瞑想の講師をしている女性は、指導の的確さや、穏やかさ、優しい性格から、周りからとても信頼されていました。 しかし、彼女は人のものを盗ることをやめられなかったのです。人のものとは、男性です。他人の旦那さんやパートナーです。 TwitterなどのSNSでは、たくさんのアカウントを持つことができます。メインのアカウントの他に、用途を変えて使い分けることができます。 それに慣れてくると、ネットに限らず、だんだんと、メインの顔だけが自分で、別の顔は、なんとなく自分ではないような気持ちになってきます。 しかしそれは大きな間違いです。 私たちは木の桶のようなもので、すべての側面が合わさり、自分を形成しています。 どんなに立派な桶でも、ひとつ短い板があると、そこから水が漏れてしまいます。どれくらい水が入るかは、一番短い板の長さによるのです。 他の板が立派でも、最も短い板が水の量を決めてしまいます。 これはスピリチュアル(精神性)を大切にしている人は、特に重要なことなのです。 スピリチュアルを学んでいくと、自分の愛の部分、自己肯定、能力、知識などが突出してい

- 2022年5月20日
社会という船に乗る条件
「私には、何が出来るだろうか?」 それは、とても純粋な問いです。 それが、自分自身に使われず、他人や社会に対して使われているのなら、ですが。 この世界に生きるための基準があります。 それは、 「他人のために役に立ちたい」と思えること。また「人や社会の役に立つ事に純粋に従事できる」こと そして、他人への思いやりや理解を持ち、それを発揮していること この2つがこの社会で生きる上で、人間としての必要な質です。 船の乗組員 大航海をする大きな船を思い浮かべてください。 その船にはたくさんの乗組員が乗っていて、数年をかけ同じ目的地へ旅をします。 航海も半分にさしかかったところ、船の底に大きな穴が開き、船が沈みそうです! その時、乗組員は「私には、何が出来るだろうか?」と考えなければいけません。 多分、穴を塞ごうと働くでしょう。船に入った水を外に出す人もいるかもしれません。子どもたちを避難させ安心させるかもしれません。 そのように、「私には、何が出来るだろう」という言葉は、他人のために、この船という社会のために、自分を働かせたいという純粋な思いから出る言葉で

- 2022年5月16日
ブッタはなぜ「人が死ぬ」事を知らなかったのか?
5月の満月の今日は、ブッタプールニマです。今日は仏陀にちなんだお話を書こうと思います。 これは、あまり知られていない話ではないでしょうか。 ブッタは両親から「死」や「老い」に、一切触れないよう育てられました。ブッタのお世話係が年寄りになる前に、若い人に変えるほどの念の入れようでした。 なぜなら両親は、ブッタに精神性について深く考えてほしくなかったのです。 息子のブッタには、世の中のことだけを学び、立派な王様として成功して欲しいと考えていました。 それは、ブッタが生まれた時、占星術での預言が関係していました。 ブッタは二つの運命があると預言され、ひとつは王様となり成功をおさめるという道、もうひとつは、人類の精神的な導き手になるという道でした。 親は我が子に、社会的な成功や安定を望むものです。ブッタの両親も同じく、可愛い息子に妙な道に入るのではなく、王様として成功して欲しいと考えました。 そうして、ブッタは青年になるまで、人が死ぬことや、老いること、病気になることさえ知らなかったのです。 しかし、結果どうなったのでしょうか。 ブッタが初めて城の外に出