魔法の泉①-魔女狩りの真実-

中世ヨーロッパでは魔女狩りが起こり、沢山の無実な人も、そうでない人も処刑されたという記録があります。それらの歴史は私たちの好奇心を少しくすぐる程度で、実生活には大きな影響はないと考えています。


しかしそんなことはありません。その歴史が私たちにもたらした影響は実に多大で、私たちの今現在の生活にも大きく関係しています。魔女狩りという歴史を使って本当に果たしたかったことは暗黙のうちに成功を収めたといえるでしょう。



それは「魔法はない」ということです。魔法は異端、魔法は嘘、魔女なんて作り上げられたもの、魔法?笑える。そのようなネガティブなレッテルを見事に刷り込むことに成功しているのです。

魔法のような化学的根拠のないものはファンタジーであり、目に見えるものが現実であるという確固たる信念は、現代というこの世界の基盤となる集合意識を勝ち取りました。

私たちはこの世界の生き心地が普通だと感じていますが、数世紀前、もっと昔の世の中は全然違う概念からなる常識があり、生活や街並み、自然との付き合い方などをつくっていたでしょう。過去にタイムスリップしたら、なんて「曖昧」な世界なんだ!とビックリするかもしれませんし、過去から現在に来た人がいたなら、現実の窮屈さに驚くかもしれません。「なぜこんな紙きれに価値があると信じ込めるんだ?」と不思議に思われるかもしれません。

そのように、私たちが当たり前だと感じているこの世界の認識は、歴史の中で作られ採用されてきた集合意識からなるもので、世界そのものの真実ではないのです。


集合意識は校庭に引かれた白線のように、「ここまでが真っ当な現実」「ここから先は現実ではないこと」とはっきりと認識の区別があります。

私たちがどこまでを「現実」としているかは、集合的に決められた範囲内であり、本当の現実はもっと広いのです。


「現実」と言う潜在的な認識

魔法があるかないかや、魔女狩りの真偽は置いておいて、このように歴史の中での強烈な出来事、特にネガティブな出来事を通して、多くの人が共通の教訓を持つことによって、この世界の集合意識、「現実」と呼ばれる範囲が決まるのは事実です。


その「現実」が私たちがこれから享受する未来を、生活から働き方から考え方から常識から、生き心地のすべてを決めるのです。

歩かなくなった道


さて話は変わって、誰も歩かなくなった道はどうなるでしょう。草がぼーぼーと生え、そこが道だったかも分からなくなり、誰もその道を見つけることは出来なくなります。いずれその道はただの野っ原へ姿を変えてしまいます。

そして道の向こうにあった美しい泉のことなど、人々から忘れ去られ、永遠の秘密と化してしまいます。その噂だけが伝説や神話となって本や映画、博物館の中だけのものとなるでしょう。

忘れ去られた魔法の泉


実はこの「魔法の泉」の話は実話で、実際に存在した場所です。世界にはルルドの泉や、様々な奇跡の場所がありますが、歴史に忘れ去られた「魔法の泉」がありました。もしかしたら聞いたことがある人はいるかもしれません。



なぜ魔法と言われるかというと、その泉の水が魔法のように私たちの渇きを癒し、絶対に尽きることがなかったからです。大雨の日や嵐の日の後も不思議なことに一切汚れることがなく、水を浴びた人は様々な問題が解決され、欲しいものが手に入るということから、魔法の泉と呼ばれるようになりました。

昔、その泉の場所を知っていた人は、貧しさから無縁で、全ての豊かさを享受していました。誰の所有物でもない泉は、誰に許可をもらう必要も、お金を払う必要もなく、身分も関係なく、そこに訪れたすべての人がその恵みにあずかれるようになっていたのです。

しかし、その泉は忘れ去られました。泉が無くなったのでしょうか?いいえ、魔法の泉を壊せる人はいません。前述したように、泉までの道が全く失われ、誰も泉に辿り着けなくなったのです。時間が経ち、人々の記憶から泉の記憶は消え、今や「存在しない」場所となりました。

その泉はどこにあるでしょうか。魔法といえばヨーロッパでしょうか、南米の辺りか、もしや日本でしょうか?!だいぶ近くなってきました。はい、その泉はもっと身近な場所にあります。現代の私たちが、「内側」と呼ぶ場所です。 すべての人の内側にその泉は実際に存在しています。そして「内側」と呼ぶ場所は、今や現実と呼ばれなくなった場所です。なので、現代に住む私たちにとってその泉は存在しないのと一緒で、ファンタジーやたとえ話と捉えられています。しかし、実際にあるのです。私たちの「現実」と呼ぶ白線の中にないので、「存在しない」と認識されているのです。

白線の内側


では、私たちの「現実」のライン、白線の内側には何と書いているでしょうか?



「すべては外側にある」



と書かれているのです。



私たちの現実は、すべて外側であり、物事は外側の関与で起こるのです。なぜなら外側だけを私たちは「現実」と認識しているからです。

人に腹が立つ時、それは誰かによってもたらされます。原因は片付けをしない旦那か、あるいは職場の人間関係か、無愛想な店員かもしれません。家族が病気になったら苦しみます。まして家族の誰かが死にそうな時は想像し得ない苦しみ悲しみがやってくるでしょう。そして死にかけていた家族が死の淵から生還しようものなら、今度は喜びが押し寄せてきます。

これが私たちの普通です。私たちの現実です。私たちの生き心地なのです。


誰かにこのようなことを話しても、同情や心配してくれたり、一緒に喜んでくれます。「あなた変ね」とは言われませんね。すべての人が「すべては外側にある」という確固たる信念を持っているからです。

私たちの人生は、問題やハプニング、ちょっとした出来事が起こるたび一喜一憂し、問題に悩まされ、解決し、また不安になり、安堵するのです。大変な問題が収まった後は、束の間の喜びがやってきて、また次の問題がやってきます。手に入れた幸せは手に入れた途端悩みに変わり、日常の味気なさが日々の感謝に繋がります。

そして外側のことは外側で解決します。


気分が晴れない時はショッピングや友人とのカフェ、趣味や推しが自分を癒してくれるでしょうか。現実での悩みは、その悩みを解決したり回避する行動をとることでのみ解決すると信じています。


ここまで聞いて、全く変なことではありませんね?それこそがこの世界の当たり前なのです。 


白線の外側


しかし、少し白線の外側を見てみましょう。そこは私たちが「現実ではない」としている場所です。本当は現実であっても、私たちが非現実として扱っている領域です。だからそれは「現実ではない」のです。


そこには何と書いているでしょうか。


「すべては内側にある」


と書かれているのです。














「魔法の泉②」に続きます。


⭐︎大事な記事となりました。複数回に渡ってお送りします。



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