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変えられないものvs変えられるもの



寺院の規律

ある寺院の逸話です。何百年も続くある寺院には人が守るべき正しい行いが、規律として定められていました。規律は普遍です。「私が誰か」という唯一の目的を見失わないよう、遠い昔から規律として定められているのです


そこに若い女性が訪ねて行きました。彼女はその寺院の信仰者で、伴侶を探していましたが、結婚の規律が時代遅れだと主張したのです。その結婚の規律には、旦那さんの言うことをよく聞くように、ということが書かれていました。寺院の僧侶は頷きこう言いました。「規律が時代遅れなのではない。あなたが結婚という道ではないのだ。あなたは、独身の探求者である。」


彼女は結婚は自分の道ではないことをさとり、深い探求者となりました。それを聞いていた熟年の女性は、自分は結婚しているが探求者になれないのか、と質問しました。彼は、「結婚をさらに超えて、その道に入って行きなさい。」と答えました。彼女も納得し元の生活へと帰って行きました。

この世界には変えられるものと変えられないものがあります。普遍なものは変えられません。変わっていくものは変えていく勇気を持たねばなりません。

彼女は、定められた規定は普遍な目的のためのもので、変えられるものではなく、自分自身を変えなければいけないとさとりました。彼女の「結婚したい」という欲求は変わっていくものであり、妻の行動規範に従うことができない、という彼女の本質は変えられないものでした。何が変えられるもので、何が変えられないものかを知った時、彼女は自分の道を見つけました。

また次の熟年の女性も、すべての規定は唯一の目的のためにあり、他の目的はないのだということをさとりました。妻の行動規範も別の目的のために定められたものではなく、「私は誰か」を知る道のためにあったことをみとめたとき、彼女の人生のすべてが探求の道となりました。

この世界には変えられないものと、変えられるものが存在しています。変えれらないものとは、しがらみがあって変えにくいという意味ではなく、変えようがない、普遍的である、真実である、という意味です。


キリスト教の美しい言葉があります。

『神様、変えられないものを受け入れる強さを、変えるべきものを変えていく勇気を、そしてどうか、それらを見分ける賢さを私にお与えください。』


変えられないものを変えようとするとき、そこには心の欲望があります。変わることを受け入れられないとき、そこには執着があります。



ありのままを受け入れる

スピリチュアリティとは、ありのままを受け入れることです。「ありのまま」とは、本当の自分、変わることのない普遍の自己のことです。


私たちは性別や性格、好みや習慣、自分が思う自分、他者から見た自分..それらのすべてを超え、普遍の自己であると言われています。変わることのない普遍の自己である私が、何を変える必要があるのでしょうか?


本当の自分以外を、自分だと思っていることを変える必要があるのです。それが真のスピリチュアリティです。


汚れて色が変わってしまったハンカチを洗濯すると、元の真っ白いハンカチが出てきます。違う色が付いていただけで、ハンカチはずっと真っ白だったのです。街の明かりが全て消えると、急に星が輝きます。星は今出てきたのではなく、ずっと空にあったのです。


真実はなくならず、そこにあり続けます。どんなに違う色にしか見えなくとも、他の明かりで見えなかったとしても、ハンカチの白さはずっとあり、星の輝きはなくならなかったように、本当の自分(普遍の自己)も変わることなくあり続けます。


探求の道への祈り

多くの人が輝かしくスタートしたはずの探求の道を途中で断念します。この世俗の社会では、自分を信じることはあまりに勇気が必要だからです。途中までは良いのですが、探求が深まってくると、私たち足を止め、これ以上歩かなくて良い理由を探し始めます。


しかし、私たちは勇気を出さねばいけません。


『自分を受け入れる強さを、そして、自分ではないものを変えていく勇気を、両者を見分ける識別力を、神様、どうか私にお与えください』


探求の心が折れそうになった時、自分を信頼できない時、心からの祈りが必ず助けてくれます。




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